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作家の窓

先々職業「小説家」を目論む皆さまを応援する元(小説新人賞)下読み担当者のサイト

小説家としての才能

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小説家としての才能

率直に申し上げて、小説家になるためには少なからず才能が必要です。

才能は合理的に説明がつきません。残念ながら。

そして、才能は、ストーリーテリング(B)であったり文体(C)に、その多くを見出すことができます。

もう一つ、さらに大切な才能(A)は、小説を書こうとする意欲です。

上記の関係性ですが、

A+BとA+Cの才能の持ち主は可です。

A+B+Cの持ち主はもちろん可ですが、それ以外のパターンはあり得ません。即ち不可です。

例えば、良い例として私自身について述べます。

私は、ご存知のとおり元下読み担当として、小説の良し悪し、またはどんな小説が面白いかなどを把握しています。

けれども、私は小説家にはなれません。

なぜなら、私には、Aという決定的な才能が欠けています。

また、BもCも怪しいものです。

つまり、批評したり判断する能力には、上記のA、B、Cのいずれの才能も不要なのです。

従いまして、

私が皆さんにお教えできるのも、才能、というレベルの内容ではありません。

言わば、「小説作成の作法」に他ならないのです。

ただし、この作法も、小説家になるためには必要なものであることは確かです。

どれほどの才能があっても、作法を知らなければ才能を開花させることはできません。

例えば、どれだけ優れたデザイン的な創造力、色彩感覚があっても、本格的なデザインの作法を知らなければ、優れたデザイナーにはなれない、と一緒です。

どの道にも、相応の作法があり、それを抜きには各々の道で大成することはできません。

けれど、才能も当然になくてはなりません。

ただ、この才能は、冒頭で申し上げたとおり、合理的には説明できない、というのが正直なところです。

生まれ持った創造力も一つの才能ですが、

後天的に、しかも突如として泉のように湧き出ることも否定はできません。

そして、その可能性は、誰しもが持つ可能性なのです。
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プロフィール

HN:
佐々木薫子
性別:
女性
自己紹介:
元(小説新人賞)下読み担当者。つまり、小説新人賞の一次審査員です。

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